椅子

 作者: 沼熊

 三十歳になった時、俺はこう思っていた。二十歳から三十歳までの十年間はそれなりに長かったし、これからの十年間もそれと同じくらい長いに違いない、と。それは間違いだった。いま考えてみれば、三十代は二十代の半分の長さしかなかったし、内容量だってちょうど半分の重さしかなかったのだ。

 自分が年老いているという感じはしない。でも若いという感じもしない。老若のちょうど真ん中だ。中年、という言葉は言い得て妙である。これから年老いていくのである。線を描けばそのイメージでは頂上だが、一番楽しかったのは上りの中腹だ。これまでの肉体的な快・不快の総量と、これからのそれを算出して比較することなど決してしまいと俺は決めている。そんなことをすれば……とにかく、暗い話はやめよう。普通に過ごしていれば中年の人間が一番多いのである。もちろん人口ピラミッドではもっと上の世代だって多いことは知っている。しかし俺が毎日顔を付き合わすのは労働人口の人間なのだ。その中で最も多いのは中年である。俺は、その集団の中に突入した。

 さて、記念すべき四十歳の一日目は何をして過そう? 俺はダイニングに置いてあるポエングに座り、少しだけ揺らしながら考えてみた。よく晴れた初夏、日曜日の朝だった。陽はかなり高く上り、窓を全開にして風を通さないとかなりの暑さだ。このまま昼までぼーっとして、それからビールを飲むのもいいが、少しつまらない。かといって、四十代が休日にひとりで遊びにいく場所なんていったいどこにあるというのか? 四十代? そう、今日から俺は四十代である。

 俺は自分に何か買ってやるのがよろしいだろうという結論に達した。文句もあまり言わずにこれまで二十年近くも会社に勤めてきたのだ。いまの会社で三社目。同世代と比べると転職回数も少ないほうである。遊ばず、散財せず、かなりの額の貯金がある。どう考えてもイケアの椅子に座っているのは不釣り合いだった。マンションのほかの家具は徐々に洗練されてきている。椅子を買いに行こうと思った。

 エレベーターを降りると管理人がにこやかに挨拶をしてきた。俺もにこやかに返す。彼は俺のことを何歳だと思っているのだろう。三十代前半だと思われているというのが一番ありそうだが、まだ白髪もほとんどないし、二十代といってもきくのではないだろうか。まさかちょうど今日から四十代なのだとは思わないだろう。

 地下鉄の駅に入り、都心方向への電車を待ちながら青山周辺の家具屋にめぼしをつけることにした。内装写真やレビューを見ながら店を選んでいるときに、この四十年の人生で判断基準や美的センスがどのように俺の中に積み重なって来たのだろうということについて考えた。楽器が弾けたり、スペイン語が話せたりしない代わりに、俺は他人よりは少しだけ家具やワインのことがわかる。結局のところ人生というのはそういうぬきさしの連続でできており、なんでもできる超人などいたものではない。ただし、そういう構造に気がつくまでにはかなりの時間を要した。毎日大江戸線を新宿から六本木まで利用しながら、路線が都心を一周していることになかなか気が付かないようなものだ。それまでにたくさんの無益な感情が生じ、歳を重ねるにつれて派手な街を嫌うようにもなった。

 家具屋は青山と赤坂のちょうど間くらいにある閑静な住宅街の一角にあり、知らなければ絶対に見逃す小さな看板がついていた。入店すると二十代後半か三十代の女性店員が挨拶した。椅子の購入を検討しておりまして、と俺は言った。どういった用途のものでしょうか? と彼女が聞いた。安楽椅子です。いまはイケアの椅子に座っていますが、そろそろいいものが欲しくなって来ましてね……。なんせ四十歳になったところでして、とは、言わなかった。さすがに年齢のことばかり考えていて惨めだ。ポエングですか? 私も家ではそれなんです、家具屋をやっていながら。あれ、いいですよねえ、と彼女は笑った。ええ、代替できるようなものですね、それでしたらこちらにございます……。

 彼女は俺をヴィンテージのコーナーに案内した。デザイナーズチェアですわりごこちがいいものですと、こちらであれば……彼女がはある一つの椅子を指差した。コペンハーゲンのデザイナーによるものでして……現在あらたに伐採するのが不可能な木ですので希少価値も高くなっておりまして……ヴィンテージにしては新しく状態もいいものになっております。一九八六年製ですね。

 八六年、と俺は小声で繰り返した。ええ。いまからちょうど四十年前ですね。このあたりの年代、北欧の椅子は、名作なのにリーズナブルなものが多いんですよ。

 この椅子にはどういった経歴があるんですかね。店員がびっくりしたように、ええと、保存状態は……と言いかけたので、俺はあわてて言った。いえ、お気になさらず。コンディションを心配しているわけではなく、この椅子はできてからどういう経緯をたどってこちらにあるのだろう、というのが純粋に気になったのです。彼女は真剣な顔で、たしか、買い付けた時の資料があったと思いますので、見てきますね。少々お待ちください。と言って、バックヤードへ向かっていった。

 それで、俺は自分と同い年の椅子を観察した。率直に言って不恰好な椅子だった。まるで歳を重ねるとともにこの椅子も中年太りしたみたいだ。座面のえんじ色のクッションは清潔さを保っていたが、ビジネスシャツのお腹まわりのようにだぼついている。フレーム部分には革靴のメダリオン・ブローグのように繊細な彫りがほどこされていたが、それさえも、まるで美術愛好家がみずからの知識をひけらかしているかのように、鼻持ちならないものに見えた。値札にさえ、椅子自体が放っている負のオーラがただよっている。そういうのを見ていると、まちがいなく、俺はこれを買うんだろうと分かった。朝から年齢のことを考えすぎた結果、目に見えない歯車がかちりと嵌って私的市場のシステムが動き出したといった具合だ。俺はきょう、同い年のものに出会ったらなんであれ購入してしまうように運命付けられている。

 店員を待つ間、椅子の過去について勝手な想像をした。はじめどこかヨーロッパの大都市で趣味の悪い人間に買い取られ、そこでけばけばしい八十年代の後半と味気のない九十年代の初期を過ごしたのだろう。当時のオーナーはベルリンの壁崩壊のニュースをこれにすわって眺めたに違いない。俺は自分のあいまいな知識で空想しそのなかに若かりし頃のこの椅子だけが入り込んだ。幼い俺がそのテレビニュースの意味を理解しなかったのと同じようにこの椅子もそれを理解しなかった。俺もこいつもあれから多くの経験をしてきたのだ。

「すみません!」店員が小走りでやってきた。「再度確認したところ、こちら商品情報に誤記がございました。正確には一九九八年製のものでした。大変申し訳ございません」

そうでしたか。

「こちらの商品は、一九九八年から二〇十四年までデッドストックとなっておりまして、その状態で福島県のアンティーク・ショップに輸入されてまいりました。その後、東北で約十年間使用された状態になっております。ですので、新しいものの中でも、比較的保存状態はよいものになっているかと」

 俺はその四十万円の椅子を決済し、指定の様式に自宅の住所を書き、その店から大通りに出たところにあるチェーンの和食屋でランチをし、地下鉄に乗って、駅前のコンビニでビールをひとケース購入してから、家に戻った。それからひと缶だけ取り出し、プルタブを開けると、あと一週間ほどでお役御免になる見込みであるポエングに深く座り込んでテレビをつけた。もう夕方だった。このようにして一日は終わる。こうやって積み重ねてきた日数がほんとうにぴったり四十年分かどうかなんて、考えてみれば、正確に分かりようのない話だ。事実がどうあれ、あまり意味はない。まさか、一九九八年うまれの間違いだってことはないだろうが。

 適当に夕食をすませたあと、いつもであればネットフリックスをつけるところだけれど、そのかわりに家を出てみた。一本道を、地図は見ずに歩いた。客など数年も入っていないような個人商店、庭にたくさんの夏みかんの木がある一軒家、見たこともない飲料を百円で売っている自動販売機の前を通り過ぎた。湿度の高い初夏の夜で、これまで気が付かなかった鳴き声がした。昆虫なのかかえるなのかすらもわからない。俺はできるだけ狭い道に入りながら、ある方向に向かって歩き続けた。この場所に住んで七年になるが、隣の駅まで歩いたことはなかった。隣の駅までは歩くことも可能なのだ。電車で行かなくてはいけないというルールはない。どうしてそれをこれまで思いつかなかったのだろう?

 途中で、住宅街に大穴が空いたように、巨大な緑地につきあたった。おおかた頓挫した住宅建設用地といったところだ。まにあわせの遊具すらなかった。ただし雑草がそれほど生い茂っていないところを見るに、時々誰かが思い出したように草を刈っているようだった。まるで地域で一頭大型犬を飼っており、そのトリミングは誰ともなく行う、といったぐあいで。その上を自然を知らない子供達が走り回って何年ぶんも育つのだろう。

 広場の端にはベンチが数脚置かれていた。俺は手近なベンチに近づき、手で表面の砂埃を払ってから、そこに座った。表面のペンキがやや劣化していた。できて十年といったところだ。広場越しの住宅街の方を見やった。一軒家の灯がついていたり、きえていたりした。星が数個だけ、かろうじて見えた。明日からはいずれにしても同じ会社、同じ椅子に戻る。それからまた人生に数日が積まれて休日が来る。そのくりかえしだ。