ときつくり

作者: 沼熊

 春が来て、むささびがいつもどおり木の上の自宅から職場である森の家に滑空をしていたとき、一つの啓示があった。すべてが止まって見えたのだ。もし、時間なんていうものがないとしたらどうだろう? この世は静止した絵巻のようなもので、ただ、ある方向に流れているように見せかけたトリックが至る所にある——滝壺に動き回る泡、色の変わる木、のびる鉤爪。循環しているのとも違う。止まっているのだ、もとからが。だから、誰かが時を作るのをやめれば、そういう世界が戻ってくるのかもしれない。

「時を作っているのはだれなんでしょうか?」その日の昼に、むささびはパン切りの師であるこびとに聞いてみた。「わたしの時間を作っているのはわたしの意識なのか、あなたがパンを切る音なのか、それとも、神様なのでしょうか」

「わたしにもよくわからん」こびとは言った。「しかしな——海という場所があるのを知っているか」

「聞いたことがあります」

「そこに行けば、時間が流れているのがわかるという噂だ。おまえはそろそろ海を見るべきときなのかもしれない。実をいうとわたしだって見たことがないのだが——いまさらこの場を離れるわけにもいかないもので」

 こびとは毎日きっかり日の出から日の入りまで働く。パン切り包丁を一定のリズムで動かし続ける。その音が森の中で時を作っているのだ。時はこびとが切り出したパンの枚数で表される。

「あす、二百五十枚に栗の木の前に集合でいいかい?」「いや、きょうはたらふく飲むつもりだ。せめて三百枚以降にしてくれないとね」こんな調子である。

 こびとはいう。「わたしがパンを切るのを止めればどうなるか。もちろん、大混乱さ。店やトロッコがまるっきり機能しなくなるんだろうね」

 こびとに弟子入りしたむささびは、彼が自分の仕事に自信を持っているのをうらやましく思っていた。こびとには、替えがきかない。むささびも、いつかはそんな存在になってみたいと思った。でも、パン切り包丁を持つだけでひと苦労だったのだ。

「きみは産まれてからこのかた、わたしのつくる時しか知らないのだろう。そろそろ、海の音を聴きに行った方が良さそうだ——優れたときつくりになれる」

 いまとなって、むささびはときどき考えることがある——明日の朝、小人が起きてこなかったらどうしよう。そうなれば、いかに下手でも自分が時を作らなくてはならない。時間の進みはゆっくりになって、昨日までの約束は大混乱におちいるだろう。遅い時間に約束されたものごとのなかには、かなうことなく忘れ去られるものも出てくるだろう。寄せては返す波がときどきつっかえるように、自分自身の迷いが時の流れを特徴づけることだろう。