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光は中庭に届く

作者: 沼熊  生垣の上面に差した光が、ひとつひとつの葉に細かく影を作っていた。それらは同じ方を向き、役所の椅子のように整列している。生垣の奥には小さな池が見え、ほとりには灯篭が置かれている——水の出入りがある、清潔な池だ。僕は五脚並びのベンチのいちばん端に座っていた。葉が落ちきったわびしい桜やらその他の広葉樹の方を眺めているあいだに、灯篭の横に置かれた大きな天然の石が太陽の光で温められ、その上に野良猫がやってきて丸くなった。ここに越してきたとき、僕は はずれ のアパートメントをひいたと思ったが、この中庭だけは例外だった。ここの主——つまり、僕が会ったことのない大家——にとってもこの中庭は最大の関心ごとらしい。なにしろ共用廊下の電灯が切れていたり、壁の塗装がひび割れたりしていてもいっこうに直す気配がないのに、中庭だけはいつでも綺麗に整えられているのだ。下草や生垣は短く刈られ、灯篭は苔むす暇もなく汚れが洗い落とされ、落ち葉がきちんと掃除されている。  都心近くに位置する集合住宅にしてはめずらしいサイズの中庭だというのに、僕の妻を含め、他の居住者にはいっさい魅力的でないらしい。僕はこのベンチの上で、次から次へと出版されるカート・ヴォネガットの講義録を読んだり、JBLの小さなスピーカーで音量を絞って音楽を聴いたり、時には何もせずに浅く腰掛けては空を見上げ、葉がある季節にはその間からぼんやりと漏れ出てくる陽光を楽しんだりした。しかしそんなことをしているのはだいたいが僕と一階に住む老人たちだけで、時々バルコニーに出てくる若い主婦は僕のことを気味が悪そうに見下ろしながら、洗濯物にいくつものピンチを挟んで厳重にとめるのだった。 「だって、怖いもの。あなたって、なんというか……別の平面に生きてるって感じ」  平面、という表現を妻は最近やたらと気に入っていた。なにか哲学の入門書で見かけた言葉で、要するに、「変である」ということを言いかえると、「別の平面上で生きている」ということになるらしい。僕は建築学科の学生が組み立てたボール紙の模型をイメージする。光をたくさん取り入れられる窓の形、音楽的に飛び出たりへこんだりする壁の意匠——幾層にもわたってそういう上澄のような居住平面が広がった後、最下層には洗練の残りかすみたいなものが沈澱している。つまりはそれがこの大きな中庭であり、老人たちの住...