植物図鑑

作者: 沼熊

 換気扇を消すと外の音がよく聞こえた。国道を走る車、うるさい学生たちの話し声、それから雪――動きのない、降り積もった堆積が、それが音自体であるかのように、屋外に様々なかたちを作り出している。静かな日など、ぼくは窓の外に少しだけ見える、隣の家の車に変な形に積もった雪を見ながら、それの音を聞いたりもしているのだが、それを誰かに言ったところでなかなかまともに取り合ってもらえない。とにかく、今は真夜中だ。キッチンにはたっぷりと残った煙草の匂いと、先ほど雲が晴れるように突然あらわれた静寂だけがある。

 ぼくの両親はどちらもヘビースモーカーだが、前に住んでいたアパートを引き払うときに法外なクリーニング料金を請求されて以降は、河原の大きな石にしがみつくやごのように、換気扇の下から一歩も離れない。それに、うちの換気扇の音の大きいこと。キッチンにずっといると頭がおかしくなってしまいそうだ。それでぼくは自分の部屋になるべく引き篭もるようにしている。両親は寂しがるが、一方でぼくは煙草をやめさせるほどの愛嬌は持ち合わせていないらしい。最近はもっぱら、両親が寝静まった後のキッチンで食えるものを探すことに、ぼくは多大な時間を費やしている。

 明日も七時半になんて起きられないだろう、とぼくは思った。明日も学校を休むとすると、二週間連続になる。さすがにこれほど欠席が続くと困ることがでてきそうだ。三学期の球技選択が、勝手にサッカーにされていたり(サッカーのコースにはたぶんいじめっ子の塩谷がいる)、数学の板書担当で誰も助けてくれないようなむずかしい問題が割り当てられていたり、最悪のケースでは、学級委員がぼくになっていたりするかもしれない。だからもう寝て、明日の朝は早く起き、登校してそれぞれにノーを突きつけるべきだ。わかってはいるのだが、ぼくは真夜中のキッチンに他のどこにもない自由を見出してしまったので、当分はそれから離れることは難しそうである。

 ぼくはキッチンの戸棚を開け、ツナの缶詰をふたつ取り出した。封を開けると、冷蔵庫のマヨネーズをその上に絞り出し、その上に少し胡椒をかけた。食べているあいだ給食のカレーのことを思い出した。そのせいだろうか、いつもならカンヅメふたつで満足するところなのに、まだ足りないと感じた。それで野菜室に入っていたビールを試した。炭酸飲料を飲めば、少しはおなかがふくれると思ったし、なんとなく自由を謳歌している感じがしてよい。しかし、初めてのビールはとても苦くて、不味かった。ぼくは頑張って二口飲んだ後、残りを流しに全て捨ててしまった。すぐに体がどんどん火照って熱くなってきた。このまま死んでしまうかもしれない、とぼくは思った。

「薬、薬」ぼくはつぶやいた。

 いつも父親が飲んでいる胃薬はどこにしまってあったんだっけ?たしか、大きな缶に入っており、スプーンで掬って飲むのだ。どういう作用の薬なのかはまるで知らなかったが、苦しんでいる父親が回復するようすは何度も見ており、それでよく覚えていた。ぼくは椅子をシンクの横まで運んで、その上によじ登り、普段は開けることがないシンクの上の棚に手をかけて、開いた。そこには探していた胃薬の大きな缶がたしかに入っていた。しかし、ぼくはその横にあったカラフルな小包に注意を奪われた。

 それはホリデーっぽいさまざまな図柄が印刷されたビニールの巾着袋で、大きさは片手鍋がすっぽりとおさまるほどだった。クリスマス用のプレゼントだな、とぼくは思い、自分宛のものに違いないと思うと、恥ずかしいような恐ろしいような、なんともいえない気持ちになった。すくなくとも、両親のどちらかがこれを買ったのは、ぼくが学校を休み始める前であってほしい、と願った。ぼくはどきどきしながら、それを戸棚の上から下ろして、床に置いた。意外にもずっしりと重い。それなりの年齢になって、クリスマスのプレゼントがどこからくるのかということは知っていたけれど、これまでそれを偶然にも見つけてしまうなんていうことはなかった。開封したら、ばれるだろうか?見たところ、巾着袋の口部分は簡単にひもで縛ってあるだけで、元通りに結んでおけばわからなくなってしまいそうだ。ぼくはひもを解いた。

 まずクリスマスカードが滑り出てきた。ぼくはそれを伏せて床の上に置いた。これは見てはいけないものの中でも、ひときわ見てはいけないものだという気がした。それから次に出てきたのは、ハードカバーのとても大きい本だった。ぼくの知らない言語で印刷されている――英語に似ているが、所々で文字のディテールが異なっていた。表紙はきらきらと光る幾何学模様で構成されていて、一見して何についての本だということはわからない。ぼくはページを開いた。

 奇妙な植物の図解が延々と並んでいる――葉が小さすぎたり、茎が太すぎたり、根が整形されたかのように半円上に曲がっていたり。同じ人間の筆致とは思えない、どこかふわふわと浮いているような図である。これに似た図を、古代の植物図鑑として紹介されていた資料の中で見たことがある。あのときのぼくは、かつてはこんな形の植物が実際にあったのだと思ったものだ。まるで明治時代は世界が白黒だったと思うように。しかしぼくも進歩して、変わるのはいつだって世界の切り取り方のほうなのである、ということがだんだんと理解できるようになってきていた。図にはそれぞれに、小さな文字でびっしりと説明書きが付記してある。食材か薬草として使われるものもあるようだ。読めない言語でも明らかにレシピの形になっている記述がある。

 ぼくはページをぱらぱらとめくった。たちまちページから不思議な匂いがこみ上げてきて――正直にいうと、ぼくはそれにくらってしまった。その時点で本の内容や、それまで考えていたあれこれ(親はいったいどんなつもりでこの本をぼくにくれようとしているのだろう?など)、が、いっさいどうでも良くなってしまったのだ。これはいったいなんの匂いなんだろう?いい匂い、というわけではない。これまで嗅いだことのあるどんな匂いにも似ていない。強いていうならば、長距離ドライブで気持ち悪くなった時に、嘔吐するより前に胃酸が少しずつ出てくるあの感じ――それでも、まるっきり不快というわけでもない。紙が木からできているということを、ぼくは知っていた。この本に使われている木が、こういう独特の匂いを放っているのだろうか。それとも、紙にする時の工場がこういう匂いで、本はそれを目一杯吸い込んでいるのだろうか。もしくはインクの匂いなのか?ぼくはあらゆる可能性について考えてみた。この匂いがどこからくるのであれ、それはぼくが今住んでいるここからはとても遠い場所のことなのだ、ということだけははっきりしていた。そこでは、今この瞬間にも、同じ本がたくさん印刷されているだろう。ぼくの知らない空気が滞留するその場所に、知らない言葉をしゃべる知らない人たちがたくさん集まって、印刷された本をベルトコンベアに積んだり、品質のチェックをしたり、配送センターに運んだりしているにちがいない。

 ぼくは次の日も学校をサボった。でも、それは静かなサボりじゃなくて、動きのあるサボりだった――そして両親が知らないサボりだ。ぼくはぴったり七時半に起きて、朝食をいつもよりもたくさん食べると、そのまま学校へ行くふりをして、海までどんどん自転車を漕いでいった。長らく家から出ていなかったぼくに、冬の乾いた空気がつんと降りてきた。それはまるで、空の上の方にある澄んだ部分を綺麗に切り取ってきたかのようだった。

 まったく、ろくでもない街だった――海沿いの工業地帯で空に向かってもくもくと黒い煙を吐き出す二本の大きな赤い煙突のイメージが頭の中に蘇ってくるにつけて、ぼくはそう思う。あの頃ぼくは、自分が知らないどこか素敵な世界からのささやかな目印を信じて疑わなかった。《そこ》と違って、自分を歓迎してくれる彩りに満ちた世界が、あれこれさまざまな手段を使ってぼくに「こっちへ来い」というメッセージを送り続けているのだと思った。そういうものはほとんどすべて、少なくともあの時思っていたほどリアルではなかった、退屈な日常なんて比にならないほどの酷い仕組みが裏側に隠されていたとか、そんな感じ。それでも――招待状に書いてあった中身がまるで嘘っぱちだったとしても、その紙やフォントや色彩は本物だ。それに、どこかへ飛び立たせようとする匂いを媒介していたのが、ほかでもないこの街の空気だったことだって、まぎれもない事実なのだ。