運搬
作者: 沼熊 ぼくがそれを持ってアオヤマ通りを歩いていると、正面から、背の低い日本人の男が近づいてきた。こちらを見ているようだ。ぼくはなにを言われても絶対に口を割るまいと決心して、その男から目を離さずににらみ返した。男はどんどん近づいてきて、ぼくの横にくると、少しだけ身をかがめて、ぼくの耳元で、小声でいった。 「おい、きみ。そんなものを目立つように持ち運んじゃいけない」男はポケットから大きな袋を取り出した。てらてらとした素材で、頑丈そうに編み込まれ、小さくヨーロッパの家具メーカーのロゴマークがついている。「これに入れるといい」 僕は注意深く答えた。「だめだよ。こんな袋に入れたら、端が折れ曲がっちゃうかもしれない」 「それでもそんなふうに両手で抱えて歩くよりはましだ」 「こうやって運ぶように言われたんだ」 男がぶつを、控えめに、しかし力づくで奪い取ろうとしてきたので、ぼくはそれを抱える手に力を込めた。それは大きな箱の中に入っていて、赤い絵の具で着色された段ボールのオーパーツだった。けさ塗ったばかりだが、もう完全に乾いたころだろう。ところどころ、段ボールのもともとの印刷が絵の具の下に透けている。そこはおおかたスティーブンが塗ったところにちがいない。彼の仕事は丁寧からは程遠いのだ。それから箱の中には五十センチほどの大きな定規が、チョウの触角のように二本ななめに飛び出している。 「わかった」と男が言った。「でもせめて、定規だけでも袋に入れたらどうだ」それから袋を広げ、ぼくがそのなかにものを入れるのを待ちかまえている。 「袋の取っ手を先にこちらに渡してくれればね」と、ぼくは言ってやった。通行人の何人かが興味深そうにこちらを見る。だれかと言い争いをしている人間しか目に入らないのだ。ぼくがこんなに目立つぶつをもってアオヤマ通りを端から端まで歩いているというのに、そのことに注意を向けたものはこれまでだれもいない。 トウキョウのどまんなかでこれを運ぶのは、そもそもぼくにとってかなり荷が重い任務ではあった。父と日本に来て一週間もたたないうちに、ぼくたちはアオヤマ霊園の近くにあるぼろぼろの一軒家に集められた。そこにはぼくと、ぼくの父と、トウキョウのインターナショナルスクールに通っている子どもたち五人がいた。みな、成績優秀の精鋭たちだった。父はぼくをふくめた子どもたちを集めて任務の...