投稿

9月, 2021の投稿を表示しています

気が向けば電話にも出る

作者: 髙嶋 大作戦  着信があった。2回鳴って切れたと思ったら今度はずっと鳴っていた。  電話にはよほど元気がないと出ない。休日ならなおさらだ。ただあんまりにもしつこいと無視している労力が電話に出るそれを上回る瞬間がある。  知らない番号だ。 「もしもし」  返答はない。 「悪戯なら切りますよ」  やはり無言。無言だが無音ではない。水中の音がしていた。ドキュメンタリーとかで水にカメラを潜り込ませたときのやつだ。風切り音とも違う水中独特のあれだ。 「もしもし」  2度目も返答が無い。切っていいタイミングだった。ただこの先の電話がどうなっているのかが気になった。向こうからかけてきたのだし電話代も向こう持ちだとしばらく耳を傾けていることにした。  変わらず水の音が流れている。泡の音は不規則に聞こえる。電話が水の中に落ちているのを想像する。こいつは水没もせずに電話をかけてきているのだろうか。傍に誰かいるのだろうか。いくら考えても確かめようはない。  音が少し落ち着く。深いところにたどりついたのだろうか。水圧で馬鹿になっていてもおかしくないくらいの時間をつないでいるが相変わらず電話は水中の様子を伝える。  その水は澄んでいるのだろうか。それとも濁っているのだろうか。魚が泳いでいるのだろうか。アメリカザリガニだろうか、イワナだろうか。フクロウナギだろうか。護岸工事されているのだろうか、削られるがままなのだろうか。水は淀み流れず光も差さないのだろうか。音は情景を何も伝えない。  電話が切れる。  リダイヤルしても二度と水の中には繋がらなかった。

圏外、電池残量なし

作者: 沼熊  何か言われた気がした。僕はイヤホンを取って隣に座る女性を見た。  「あ、すみません。それガジュマルですか」  「はい」僕は話しかけられたことに驚いて、答えた。  最終電車はここから終点まで止まらない。ひとつ前の駅で乗客は大量に降りていった。僕とその女性だけが隣同士残った。ここにきて座席の間をあからさまに空けるのはなんだか遠慮のない気がして、おそらく僕たちは互いにそう感じて、終点まで隣同士のままであった。僕は窺うように、向かいの窓ガラスに映った隣の女性の様子を何度か盗み見た。どこを走っているやらわからない、光のない町の中だった。僕はさっきまで、最近買ったジェイミー・アイザックのアルバムを聞いていた。深夜と相性が良かった。  「わたし、沖縄出身なんですけど」僕が膝の上にのせている、ビニール袋に入った小さな鉢植えを見ながら、その女性が言った。「ガジュマルってすごく大きくなるんですよ。小さいころよく木に登って遊んでました」  「そうなんですか」僕はどう答えたものか迷った。「それくらい大きくなるにはあと何年かかるでしょうね」と言って笑った。  そのとき僕は、このガジュマルが登れるほどの大木になるまでの時間をイメージした。十年だろうか、二十年だろうか、僕が生まれてから現在に至るまでをはるかに凌駕するような年月である可能性もあった。そう考えると不思議な寂しさがあった。それはもう取り戻せない過去を考えるときの寂しさに似ていた。矢印が前向きであれ、後ろ向きであれ、掬おうとすれば何か大切なものがいくつでも零れ落ちてしまいそうなスケールの時間感覚だった。  「何年もかかるでしょうね。この小さい鉢植えが」と女性が言った。「そんなに大きくなっていくことを想像したら、楽しくないですか」  「僕は寂しいと思ってしまいました」  「え、どういうことですか」  「なんか、気が遠い話だな、と思って」  「寂しいですか」とその女性が笑った。  彼女も僕と同じように、会社帰りのようだった。地味な紺色のワンピースと茶色いスエードのローファーを身に着けていた。その組み合わせを見て僕は季節が秋に進みつつあることを感じた。それから僕は一年中履いている自分の黒いビジネスシューズを見た。僕が繰り返し同じような日々を送っている間に、来る人のところに季節は移ろう。  「もしかしたら」と僕は言った。「毎日代...